プッチョピアノ

中に二人います

人生は、生まれてから死ぬまでの暇つぶしである。

私は、長らく無趣味であった。

学生時代は帰宅部で、友達もいなかったため、学校が終わればすぐ家に帰り、寝るまでテレビを見てすごしていた。

社会人になってからも、仕事が終わればすぐ家に帰り、テレビを見て過ごす日々が続いた。

単調な毎日が続いていく。今日はいつも、昨日の繰り返し。

このまま、なんとなく人生は終わっていく。でもそんな人生を本気で変えたいとも思わない。なんかめんどくさい。そんな感じ。

 

「人生は、生まれてから死ぬまでの暇つぶしに過ぎない。」

高校生のころからか、そう思うようになった。

 小さいころはいろんなものに、わくわく、どきどきしていた。

同じような毎日のはずなのに、なぜか飽きずに日々過ごしていた。

いつからだろう、昨日と同じ今日を過ごし、今日と同じ明日を過ごすことを

めんどくさがるようになったのは。

 

そんなつまらない人生。

だから、私は恋人ができると恋人にべったりとなる。

隣の芝生は青く見えるという、あれである。

自分の人生がつまらないから、恋人の庭の芝生で遊ぼうとするのである。

そんなことをしても、自分の芝生はどんどん荒れていくばかりなのに。

 

そんなどうしようもない人生に嫌気がさしてきた。

私も、今はやりのリア充になりたひ!

 

そんなわけで、人生を充実させるべく、趣味を見つけることにした。

 

趣味を見つける道は困難を極めた。

それは筆舌に尽くしがたいので省略させてもらう。

 

そして今、私はプラモデルを趣味にしている。

そう、あのプラモデルである。

それ以上でもそれ以下でもない。

プラモデルである。

 

休日は家にこもって、シンナー漂うアパートの一室で、黙々とプラモデルをつくる。

 

私が夢見たリア充の生活。それはシンナー臭くて、孤独な生活。

 

人生は、死ぬまでの暇つぶし。それは間違いない。人生に意味なんてなく、どんな人生を送ろうが、ただの暇つぶしで、優劣なんてない。

ただ、暇つぶしなら、ちょっとでも楽しいほうがいいじゃないか、最近そう思うようになってきた。

世界各地を飛び回り億単位のお金を動かすビジネスマン、大国の指導者、病気の人を救おうと世界を飛び回る医者、休日に部屋にこもりプラモデルを作る私。

みんな人生の価値は一緒である。いや、そもそもくらべてもどうしようもない。人生は、ただの人生である。

私は、いやいや大国の指導者をする人生よりも、休日一人部屋にこもってプラモデルを作る人生を選ぶ。

ちょっとでも楽しい人生を送る。

どうせ、人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎない。

そう思うと、気負わずに人生を楽しめるのではないだろうか。

これからリア充の道をシンナー漂う小部屋にて、いざ歩まむ