プッチョピアノ

中に二人います

Re「学問のススメ」

先日こんな研究成果が話題となった。

「銃所持率と殺人率に統計的関連性、米研究」(2013/09/13)
http://www.afpbb.com/articles/-/2968025?pid=11340935

要するに「銃所持率が増加すると、銃器による殺人率が増加する」という研究成果である。

なんて刺激的な研究なんだ!
と、あなたは感じるだろうか。


ネット上でこのニュースが取り上げられたとき、その反応は冷ややかなものだった。
「当たり前だろ。。。」という反応だったのだ。まぁ、大半の日本人はそう思うよね。

蛇足ながら補足しておくと、このニュースにはもちろん意味がある。
リンク先にあるように、政治的に強い力を持つ全米ライフル協会の「銃所持率と殺人率に相関関係はない」とする主張をくつがえす研究成果であり、さらにその研究成果が報道されたという点だ。

ところで、研究職に従事している人の悩みを知っているだろうか。
それは
 「せっかくの研究成果が、実は周知の事実にすぎないものであった」
ということになりかねない恐れだ。

いくら緻密な研究を積み重ねても、その結果えられたデータに世間をあっといわせるほどの目新しさがあるとは限らない。
まさに上記の研究成果に対するネット上の反応がそれだった。

目新しさがなく、冷ややかな反応をされたことに対する落胆ももちろんあるだろう。
しかしそれよりも研究者を悲しませるのは、自分が時間を割いてきた研究は人類の進歩に寄与しなかったという事実だ。

果たして本当にそうだろうか。

私はたいした時間を生きてはいないが、人類は所詮同じことを繰り返しているだけで大昔からその本質はほとんど変わっていないと思っている。
ただし、そこに諦念を抱いているわけではない。

たとえばさまざまな本を読んで一喜一憂したとしよう。
そしてその本から何らかの答えを受けとったとしよう。

「人間の愛って素晴らしいよね」
「誰かのために行動すれば、誰かが自分を助けてくれることもあるよね」
「自分を客観視することって大事だよね」

これらは、本を読む前は知らなかったことなんだろうか。
そして時間をかけてまで知りたかったことなんだろうか。

人間の本質とか、人生とか、それらの答えをただ知りたいだけなら「論語」を読めばいい。
はっきりいってそこにすべてが書いてある。
すべての道はローマに通じるらしいし、論語と算盤を持っていれば人生うまくいくらしい。

でもだからといって世の中に数多ある本が無駄になるわけではもちろんない。

答えなんかより重要視すべきは、
 いかに自分に沁みるか
 いかに己が疼くか
という点のはずだ。

情報源が自分にとってどれだけ魅力的で、どれだけ説得力があるのか。

学問はその両方を与えてくれる。
魅力と説得力を持たせるのが学問の大切な役割だ。

どれほど我々の社会に還元できるかという点も重要ではない。
もちろん研究成果によって誰かが救われればこれほど素晴らしいことはない。
医学の進歩はそれを実現している。

ただし学問の目的がその一点である必要は一切なく、副産物として誰かが笑顔になれば万々歳というスタンスでいいはずだ。

証明できればそれでいい。
わからなかったことがわかるようになればそれでいい。
費やした時間が楽しければそれでいい。
そこに納得できればそれでいい。

学問なんてそれ以上でも、以下でもない。
どう役立てるかという実益は成果を見て考えればいい。

大学は就職予備校ではない。
ただ長く生きているだけの横柄な面接官に、その学問はうちの会社に役に立つのかと問われれば
「自分の人生に役に立つ。お前のために勉強したわけじゃない」
と答えてやればいい。

くだらない質問に答える時間はあなたの人生にはない。
そんなことより、いっぱい考えよう。
学問は鎧だ。

人生には成功の時間と成長の時間しかない。

リレー「休息のススメ」

改訂版〈学問〉の取扱説明書

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