汝、神か悪魔か、ドラえもんか
小さいころ、何か願い事があると、よく神に頼ったものだ。
「神様、どうかトイレに間に合いますように」
「神様、どうかあの子が振り向いてくれますように」
「神様、どうか志望校に受かりますように」
絶望的状況であればあるほど、その祈りは真剣だ。
だが日常生活において神を意識することは少ないだろう。
むしろ、日本人の多くは神の存在を信じてはいないだろう。
日本人における「神頼み」という概念は、
「おぼれるものは藁をもつかむ」ということわざと同じなのである。
つまり、神≒藁なのである。
全知全能たる存在である神は、日本人にとっては中身からっぽの
かよわき植物と同義であるのだ。
これは、神なんて存在しないという意識が根底に存在することに起因する。
全知全能な存在なんていない。
いたとしても、そいつがなぜ自分の味方であるのだ?
そう思っているのだ。
かつてラプラスは、全知全能の存在を悪魔にたとえた。
人はみな自分に都合のよい世界を生きている。
全知全能たる存在もその世界においては個人のいいなりだ。
つまりは、全知全能たる存在は、神頼みするがごとき人間の世界においては、
ドラえもんにすぎないのである。
そんなわけはない。そんなやつもいない。
私は、ラプラスに親近感をおぼえつつ、しかし、量子論を信奉する。
日本人の多くは、私と同じように考えているのではないだろうか。
ただ、これからも私は、そのこころのうちで、何ものかに切に願う。
「世界が平和でありますように」と。
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