プッチョピアノ

中に二人います

Re「恋愛のススメ」

あなたは自分専用の茶碗を持っているだろうか。

もしかしたら一人暮らしの人は持っていないかもしれない。
他人に使われる可能性がなければそもそも自分専用のものを持つ必要がない。

子供の頃を思い出してほしい。
きっと自分専用の茶碗を持っていたんじゃないだろうか。

可愛らしいキャラクターが描かれた茶碗だったかもしれない。
あるいは、背伸びをして少し大人びた茶碗だったかもしれない。

おそらくお箸だって持っていたはずだ。
年齢に合わせて少しずつ長く使いやすいお箸に持ち替えていっただろう。

ところで、「H2」という作品をご覧になったことがあるだろうか。
あだち充作品の中で現在のところ最長編作品であり、高校野球を通じて四人の交錯する恋愛模様を描く青春漫画だ。
比呂、英雄というヒーロー二人。
春華、ひかりというヒロイン二人。
あと、重要人物である野田もいるんだけど。

この作品の中にこんなシーンがある。

比呂に想いを寄せる春華に対し、ある勘違いからきつく当たる比呂。
比呂がなぜ怒っているかわからない春華は翌朝、野田を誘って比呂の家を訪れる。
直接本人に怒っている理由を問いただすも、比呂は「怒ってなんかいねえよ」の一点張り。
「だからいったろ、春華ちゃん。気にするこたァねえって」という野田は、比呂の家で勝手に朝ごはんを食べている。手には比呂の茶碗を持って。
怒りながら比呂が言う。
「おまえ、おれの茶碗で!」
「気にするこたァねえって」

自分の茶碗を他人に使われるとなぜかいい気がしない。
日本人なら誰しも思い当たることがあるんじゃないだろうか。

自分のお箸を他人に使われるといい気がしないというのは理解できる。
口に直接入れるものだ。歯ブラシと似たような扱いだろう。

ではなぜ茶碗に対してもそのような気持ちを抱くのだろう。
ただの器だし、例えば平皿などの洋食器なんかにはそんな気持ちにならないのに。

申し訳ないが、ここではこの難問についてはこれ以上考えない。
それよりも表題だ。

自分専用の茶碗というただそれだけの存在は、でも実のところいろいろな意味を持っている。
まず、同居している人間がいるだろう。
次に、その同居人と同じ空間で食事をするという生活リズムがあるだろう。
そして、その同居人とは何らかの絆で結ばれているだろう。

だから、一人暮らしをしていてかつ平日はほとんど家にいない私は、自分専用の茶碗を持っていない。
もちろん食器類は一通り揃っているが、いわば全てが自分のものであるから他人と区別する必要がない。

いつか自分専用の茶碗を用意するとき、きっと隣には同じように自分専用の茶碗を用意する人がいるはずだ。
そこからさらに時が経てば、二人の間にもう一つ小さな茶碗を用意することになるかもしれない。
みんな同じ屋根の下で共同生活を送りながらも、茶碗やお箸というパーソナルな空間を持ち寄る。
それが家族というものなんだと思う。

恋愛の末に、自分専用の茶碗を用意してみませんか。

リレー「仕事のススメ」

穢れと茶碗―日本人は、なぜ軍隊が嫌いか (ノン・ポシェット)

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