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Book「自分を愛する力」

自分を愛する力 (講談社現代新書)

自分を愛する力 (講談社現代新書)

この堂々とした本書のタイトルは、たぶん日本ではあまり受け入れられない。
気がする。

今は簡単に「他人を攻撃できる」時代だ。
攻撃できてしまう。

嫌いなクラスメイトの悪口はネットに書きこんでしまえばいいし、名前や顔写真を公開しようと思えばいつでもできる。
Twitterをのぞけば芸能人にだって文句をいえる。
一方で自分が攻撃されるのは怖いから、守りを固める。

だから、面と向かって「自分を愛している」だなんてとてもじゃないけど言えない。
恥ずかしいし、笑われるかもしれないし、嫌われそうだし、攻撃される。

僕自身、鏡の前でずっと髪の毛をいじりながらキメ顔を作っているようなナルシスト君とはあんまり友達になりたくない。

でもこの本が教えてくれるのは、そんなうぬぼれなんかじゃなく、まっすぐな「自己愛」だ。
自分の居場所を、くすぐったくなるぐらいストレートに伝えてくれる。

五体不満足』で一躍時の人となった筆者は、今や二児の父親である。

本書は「自己肯定感」にスポットを当てながら筆者の半生が語られていく。

手足がないという重度の障害を抱えながら、ラブラブな両親から大きな愛情を受けて育つ青年期までを語る第一章
 ――息子として

自分が受けた愛情を教育という形で伝えるために、小学校で子供たちと接する第二章
 ――教師として

子育てに直面し、何もしてあげられないという焦燥感からも自分らしい育児を見つける第三章
 ――父親として

ベストセラーとなった当時、『五体不満足』を読んで僕はその両親の深い愛情に感涙した。
そして、本書が伝えてくる人間味あふれる暖かさにもまた、ボロボロと泣いてしまった。

第一章では『五体不満足』と重複するエピソードが再び語られる部分があるが、それは第二章、第三章へ続く、筆者が両親から学んだ大切な愛情である。
手足がないという途方にくれてしまいそうな、決して覆すことのできない現実は、それでも「不幸」の理由にはならない。

僕たちは簡単に、不幸な理由を探してしまう。
「容姿がよくないから」
「才能がないから」
「学歴がないから」
「お金がないから」
そんな風に「どうして」を考え、納得して、あきらめてしまう。

筆者はいう。
"モノサシを捨てよう"
平均や標準に一喜一憂することが自分を苦しめるなら、捨ててしまおう。難しいことだとしても。
そして、
"小さな成功体験を積み重ねよう"

両親、担任教師から愛情を受けながらも決して甘やかされることのなかった筆者は、その厳しい教えを自分の生徒にも実践していく。

人前で発表することが苦手だった女の子に、どうにか自信をつけてあげたい。
運動会にクラスから四人のリレー選手を代表として送りだすとき、筆者は心を鬼にして女の子にあるウソをつく。

自分が初めて父親になったとき、小学校教師として生徒の両親とも接してきたにも関わらず、我が子を目の前にして抱く焦り。
その中で見つける自分にしかできない子育てと、子供のありのままを受け入れる覚悟。

本書で描かれる数々のエピソードは、ともすれば美談のよせ集め、ただのきれい事と捉えられるかもしれない。

それでも僕は読み終わったあとに、世の中捨てたもんじゃないよな 、という単純な感想をもった。

なにかと息苦しさを感じる今、自己肯定感をいつの間にか忘れてしまっている人は多いと思う。
だけど決してなくしてしまったわけじゃない。
この本はそんな当たり前のことを気づかせてくれる。

自分で自分を認めてあげる気持ち。自分のそのまんまを許してあげる気持ち。
そして、そんな自分を持っているからこそできる、他人を受け入れる気持ち。

ただし――
"ここでひとつ誤解してほしくないのは、「自分を愛する」ことと「自分に自信がある」ことはイコールではないということ。
 (中略)
僕は、けっして完璧な人間などではない。それでも、自分が好き。至らない自分、欠点だらけの自分、弱い自分、手足のない自分――そんなあれやこれやを全部ひっくるめて、僕は、乙武洋匡という人間を、いとおしく思っている。"

                    ――本書おわりに、より

イヤなことが続いたとき、落ち込んでしまったとき、すぐに開くことができるような距離に、こんな本が一冊あれば心強いかもしれない。